金の髪 白い花 2


「――――ッッッッッッ!!!???」
 誰にも聞こえない鋭い悲鳴が上がった。
そして――バサ。
ごっそりと、金の髪が、ミカエルを覆っている布を伝って、床に落ちた。
(あ、あ、あ……!?)
 カタリナは自らの手を見つめた。手には感触が残っている。 それも鈍い感触だ。そして、おそるおそる鏡に目をやった。眩暈がした。倒れるかと思った。
 だが、それでも気力を振り絞ってなんとか持ち直す。カタリナはミカエルの前髪を、相当なまでに切り取ってしまっていたのだ。日頃の政務の疲れが溜まっていたのであろう。ミカエルの表情が変わらなかったのは、不覚にも彼が眠ってしまっていたからであった。幸いなことと言えば、彼がそれで目覚めなかったということか?
(私は……私はなんということを!!)
 カタリナは鏡の前で身悶えた。今この場で死んでしまいたかった。
(死ぬ? そうだ、こんな大罪を犯してしまっては、もうそれしか……)
 そこまで考えてハッと我にかえる。
(いや、何を考えているの、カタリナ! ミカエル様に生き恥をさらせと言うの!? ダメ、私は良くても、それだけは許されることではない!!)
 カタリナは鏡に映るミカエルを見つめた。おかしい。どう見てもおかしい。ミカエルの美しい長髪にはまったく似合っていなかった。もう一方の前髪が悲しそうに揺れている。カタリナは意を決してハサミを握り締めた。
(こうなったら、もう1つをきれいに揃えれば……!)
 それでも、あまり変わらないだろうことはわかっていたが、多少の希望を持って、カタリナはもう一方の前髪に挑戦し始めた。心臓の鼓動が高鳴る。ゆっくりと、静かに、ときどき小刻みに震えながらも、ハサミは前髪に近づいていく。
(もう少し……慎重に……!)息が止まる。
切っ先が毛先を捉える。絶妙の力加減で、ハサミを動かしていく。
「……はあぁぁぁ!!!」
 あともう少しというところで、カタリナは胸に手をやって、大きく息を吸い込んだ。何度かそうやって緊張を和らげようとする。
(よし!)
もう一度決意を固めると、カタリナは唇を真一文字に結んでミカエルの髪に手を伸ばした。
(慌てるな……あと少し……)
 ありとあらゆる神経をハサミに集中させ、カタリナは照準を合わせた。
(よし! そこだ!!)

「……カタリナ……」
ビクゥゥゥ!!!
カタリナの体が、凄まじい勢いで跳ねた。
「は、ハイ!! ミカエル様!!!」背筋を伸ばし、目をまん丸に開いて、カタリナはミカエルの言葉を待った。
(ああ……もう私は終わり。 きっと、ミカエル様は許してはくださらない。 ならばいっそ、最後にかけてくださるであろうミカエル様の言葉を、私が聞く最後の言葉にしよう……さようなら、ミカエル様。 申し訳ありません、モニカ様……)
瞳を瞑ったまま、じっと静寂に耐えることしばし。
(………………………?)ミカエルがまったく何も言ってこないことを不審に思い、カタリナはそっと目を開いた。
「………………………」ミカエルは、微動だにしていなかった。要するに、眠っていたのだ。
(―――――ッッッはああぁぁぁぁぁぁぁ………)心の中で思い切り息を吐き出すカタリナ。現実は息をすることを忘れていたことに、彼女はまったく気づいていなかった。
(はぁ……良かった、ミカエル様がお目覚めにならなくて……って、え? 眠って?)
 カタリナはふと、現在ミカエルが、完全なる眠りの世界にいることに気がついた。
(眠っているということは――ミカエル様はこのことを気づいていない……? いや、そうじゃない! そう! ミカエル様は眠ってらっしゃるんだ!! つまり、ミカエル様は夢を見ていて……夢を、ゆめを――)
 そこまで考えて、カタリナの顔は沸騰してしまったように熱くなった。頬は真っ赤に染まりきっている。
(ミカエル様は……夢の中で私の名を……キャアアアーーーーー!!!!)
 あまりの恥ずかしさに、両手で顔を覆ってしまうカタリナ。いやいやをするように、体を左右に振ってしまう。
(そんな、ミカエル様! 夢の中で私と! ああ、なんてこと!! どうして、今私はこの場にいるの!? 私がミカエル様の夢の中にいればいいのに! いや、私は夢の中にいて、夢の中の私が――!!! ああ、もう!! 何がどうなのかわからない――!!!)
 ほぼ錯乱状態のカタリナ。カタリナの妄想はとどまるところを知らない。今は、ミカエルの夢の想像をしているようだ。
(……ミカエル様が夜中に突然私を中庭に呼び出す。 行ってみると、そこには満月を背景に、まるで精霊のような美しさでたたずむミカエル様が――!! 私がそっとミカエル様の名を呼ぶと、ミカエル様はゆっくりと私のほうを振り返って、私に微笑んでくださる。 そして、一歩ずつ私のほうに近づいてきて、まるでガラス細工を扱うように私を抱きしめてくださるの! それから、私の髪を優しく撫でてくださって、『カタリナ、私はお前を愛――)
 一瞬、何か引っ掛かった。何か重大なことを忘れている気がする。

ミカエルが微笑んでいるところ?
ミカエルが抱きしめるところ?
ミカエルが愛の告白をするとこ――ふと、カタリナは自分の左手に目をやった。
左手に目をやり、そして――頭が真っ白になった。

瞳は焦点を合わせられず、口は引きつったような笑みを浮かべていた。動きが止まり、音が止まり、時間が止まり、世界が止まった。もはや、すべてが理解不能であった。カタリナは左手にしっかりと、金色の繊維の束を握っていた。
髪。
金の髪。
神々しいまでに光り輝くそれは、カタリナの手の中でも、その光を失うことはなかった。そっと、いや、小刻みに震えながら、カタリナは鏡を盗み見た。
(………………………)言葉はなかった。
 カタリナはもう、何も考えることができなかった。ミカエルの前髪は、無残にも先ほどの4分の3ほど切り取られてしまっていたのだ。
 前髪がなくなったことで、肩まで伸びている髪が、嫌が応にも目立ってしまう。要するに、変なのだ。
(……ふ、ふふふ……フフフフフフ……)
 何においても事実ほど残酷なものはない。カタリナは事の重大さを受け止められず、ただ笑うしか――(フ、こうなれば、もはや手はアレしかない)――笑うしか……いや、カタリナにはまだ最後の秘策が残されていたようだ。
カタリナはいつも肌身離さず持ち歩いている宝剣を取り出した。
(……ミカエル様にだけは使いたくなかった)
 音もなく鞘を抜きとると、彼女は刀身に自分の顔を映し出した。小さな剣は鏡と同じくありのままの彼女を映し出した。そして剣に小さくキスをすると、彼女は武人の顔つきになってミカエルから距離をとった。
(ミカエル様を殺して私も――!! ……じゃなくて!)
 ……どうやら、まだ少し混乱しているようである。
(……ミカエル様、最悪な目覚めをさせてしまうこと、お許しください)
 カタリナは握り締めていたミカエルの髪を優しく放った。
「マスカレイド!! ウェイクアップ!!!」


「……で」
 鏡の中の美男子が、いつにも増して不機嫌な様子で、片膝を立て跪いている女性を見つめていた。
「はい、私にはこうするほか思いつきませんでした」
 カタリナはミカエルの顔を直視しないよう、うつむいた状態でそう言った。自分はミカエル様に合わせる顔がないと、そういう意味でである。
「どのような処罰も覚悟しています」
 次にそう言ってミカエルを見据えたカタリナの声は、抑揚のない、決意のこもった声であった。鏡には、金の髪の美男子が映っていた。その双眸はどこまでも青く、鼻筋はよく通っていて、どこか冷たい印象を漂わせていた。それは以前の彼と変わらない。ただ、変わったことと言えば……
「……いい。 ユリアンにきちんと聞かなかった私にも責任がある」
短くなった金の髪――
「しかしッ――!!」
「いいと言っている」ミカエルは鏡から目を逸らさずにカタリナを制した。
「これでしばらくは自分のことにかまけず政務に励める……だが、たかが髪を切るためだけにマスカレイドを使ったことについては、あとで少し考えさせてもらう」
「……はっ!」カタリナは再びうつむいた。
 涙が出てくるのを堪えたかったからだ。
ちなみに、彼らの言っていることはこういうことである。もともと、カタリナは散髪などは得意でもなんでもないことであった。まぁ、できないこともない……といった程度の腕であろうか?
 だが、カタリナの剣の腕は素晴らしく冴え渡っていた。それは、剣を自分の一部として操れるほどに……つまり、カタリナは剣で髪を切ることにかけては、右に出るものはいないということだったのだ。ユリアンは前にそうやって髪を切ってもらったということを、ミカエルに伝えていなかったのである。

「もういい、下がっても構わん」ミカエルは振り返ることなく、横柄な口調でそう言った。
「はい」カタリナは立ち上がると、踵を返して一直線に扉に向かった。
「待て」
「はっ……?」
 カタリナが扉に手をかけたとき、ミカエルが短く命令した。ミカエルは鏡台の前に座ったままであった。
「……いや、礼を忘れていた」
「――ッ!?」
 思いもよらないミカエルの言葉にカタリナは驚愕した。瞬きもせずに目を見開いて、短く揺れる金色の髪を見つめ続けた。
「そ、そんな、めっそうもない!! 私ごときに――!!」
 声を詰まらせながら言うカタリナ。
「……そうだな、では、そこにある花瓶をやろう。 持って行くがいい」
 そんなカタリナを無視して先を続けるミカエル。カタリナは戸惑いながらも、先ほど鏡で見た、小さな花瓶に手を伸ばした。花瓶には、これまた小さな白い花が活けてあった。
「これは……」
「用はそれだけだ」
 短くそう言い終えると、ミカエルは立ち上がり、カタリナの方を見ずに自分の部屋に行ってしまった。扉を閉める直前、前の半分ほどになった髪が小さく揺れて輝いていた。ミカエルの執務室にはカタリナだけが残された。カタリナは、小さな白い花にそっと手を触れると、本当に、小さく小さく呟いた。
「カミツレ……」そして、それよりも小さな雫が、白い花を小さく揺らした。

カミツレの花占いは『仲直り』




コメントをばw
葵君のHPにてキリ番を踏みまして頂きましたw リク内容は『ミカエル様が出ていれば』でした。 ミカ様のサラサラな金髪にカタリナさんが溜息を吐くシーンが一番印象に残っていますw
 余りにも、リアルな心境でv その気持ちは、よく判りました!最後のバサッとやっちゃうところは爽快でした。
本当に、どうもありがとう御座いました!




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