エル・ヌールのカムシーンはたしかに恐ろしいのである。それにまた、ゆっくりしているが一番がめついのはハリードなのである。ロビンは無関係なはずだが、巻きこまれてその恐ろしさを感じたわけだった。波長がやつらと同じということである。それでどのくらいの間静まったかというと―。
3秒ほど。
オーラムを奪い合う騒動をよそに、別室でミルクココアを飲んで少女は落ち着いた様子だった。ハリードはまず名を尋ねた。 「名前、はね、タ・・タルト」 「おやつみたいな名前だな」 「しょうがないでしょ、親がつけたんだもん」 「年齢は?」 「レディに年を聞くのは失礼よ。 でも答えてあげる。 ・・・もうすぐ16歳」 「ふむ、もっと下に見えるが、それで? なぜ追われている? ドフォーレの誰かをばらして逃げているようには見えないな。 何かヤヴァい取引でも目撃したか、何かヤヴァいブツでも運んでいるのか、何かヤヴァい身分だとバレたか、ってところだろう」タルトと名乗る少女は少しむっとして答えた。 「何もヤバくなんかないもん。 一人旅に出たら、理解のない親が連れ戻そうとして新聞広告を出してしまったの。 それも、賞金つきで」 「極悪人を捕らえた者に賞金。 生死とわずってヤツか」 タルトはカムシーンの使い手の顎にアッパーを見舞った。 「筋がいいな」 ハリードが痛さをこらえて泣きそうになっているところへ後ろから声がした。 「誰!? またドフォーレ!?」タルトは思わず立ちあがり、椅子が後ろに倒れた。 「怖がることはない。あれはウォードだ」 ハリードが面倒臭そうに言った。だが、ぬっと現れたロブスター鎧の大男を見れば大抵の人はまず怯える。ウォードはそんなことは全く関知せず、帽子もサングラスも脱がずにどっかと腰を下ろした。 「オレは大きな会社とかナントカには雇われない主義なんだ」 「・・そう。 それで、個人なら用心棒してくれるの?」タルトはよけいな話ばかりするハリードよりも彼を相手にすることにした。
「一人旅というのは嘘だな。 タルトも偽名。 正直に話せば守ってやらないでもない」 「じゃあ本当はなんだと思ってる? いい加減にあてずっぽうしてるんでしょ」 ウォードは新聞をテーブルに載せた。 「『ラザイエフ家の末娘、家出。 名前はタチアナ、持ち物はクマちゃんリュックのみ。 赤毛で小柄という特徴以外には、ウィルミントンの若旦那から贈られた高級なデザイナーズの衣装一式を気に入って身につけている。 技術提携などで交流もある同業のライザイエフ家の事件だけに、ドフォーレ商会では総力をあげて無事に保護するように彼女を捜索している。』・・・まだ申し開きするか?」
少女はしょぼんと座り込んだが、すぐに顔を上げて意思の強そうな目を向けた。 「家出じゃないわ。 旅に出ますって書いてきたもの。 それにお金だってちゃんと持ってるし・・・」 ウォードはふーっとためいきをついた。 「ちょっと、そこのテーブルの下に隠れてろ」 「え」 分からないでいるタチアナをウォードは仔猫をつまむようにひょいと抱えて脇へやった。ハリードも肯いて剣を抜く。タチアナは気配を察してさっと身を伏せた。
前の窓が破られ、数人のごろつきが飛びこんできた。 「そこの娘を渡せ!さもないと」 「それが『無事に保護』しようっていう態度かい」ウォードは吐き捨てるように言った。 「名目は保護、実体はひとさらいだな。 賊にさらわれたことにして、ラザイエフ家から身代金を騙し取るつもりだろう」
…そうだ、そうだ。こんな悪徳会社と提携したりして、お父様もおじい様も、大馬鹿のすっとこどっこいだ。呟きながら、タチアナはテーブルから小さなカウンターの下へとちょこまかと進んだ。そしてドフォーレの手下は7,8人はいる感じだったのに、ここにいた変な二人組ですっかりやっつけてしまったらしい。 ハリードがへろへろになった賊たちを別室へ放り出した。たちまち、「お前ら、金目当ての賊めーー!」と声が聞こえ、それからまたどつきまわす音が続いた。
「もう、いいぜ」 ウォードの声がして、タチアナは心底ほっとした。そして、本当は心細さを耐えていた反動で大声で泣き出したいのをこらえてこう言った。 「強いわね。これで用心棒決定で、いいでしょ?」ウォードは軽く肯いた。 「家に送り届けるまでな」タチアナは冗談だと思い、首を振って笑った。 「話を聞いてなかったの? 私は一人旅の護衛を頼んでるのよ。まずは、半島を下るわ。 ロアーヌにもツヴァイクにもつてがあるんだから。 ドフォーレに見つからないように出るには・・そうね。 そこの、エキゾチックなおじさんに船を調達してもらいましょう」 ウォードは真面目に聞いた。 「お前、年は14だろう。新聞にそう書いてある」 「そうよ。冒険に出るには早すぎるってことはないわ。お金もあるんだし」 「お金があれば冒険していいと思ってるのか」 「だって、護衛を雇えば、今みたいに悪いやつをやっつけてもらえるし」 「お前な…もういい。 わかった。支度しろ」
ウォードは有無を言わせなかった。調達した船でたしかにドフォーレをまいたが、行き先はリブロフに決まったのである。タルトは船室に閉じ込められ、ひとさらいとわめきたて、食事にはほとんど手をつけず、中の物を破壊しつくしたがそれでも一行は相手にしなかった。 やがて、2日目の夕刻にリブロフが見えてきた。ドアが開いて港に下ろされたが、暴れ疲れたタチアナはウォードと歩きながらも顔を上げなかった。 「この町嫌いって言ったはずだわ。 裏切り者。 信用してたのに」 「簡単に人を信用するようでは、一人で冒険は無理だな」 驚くほど口調が優しかった。タチアナは涙のあとをこすった。 「だから、…一緒に行けばいいと思ったの」 「オレたちなんかとか?」 「・・・・」 ウォードは立ち止まったタチアナにつきあって傍の橋にもたれた。大きく《ヤーマス橋・ドフォーレ商会寄贈》と書いてある。
「冒険がどんなだか、お前は物語程度にも知っちゃいないぞ。 快適な宿に泊まれる日は数えるくらいしかない。 ブリザードの吹きつける氷河、魔獣だらけの森、アンデッドがたむろする廃墟…お金がある? そんな場所で誰がオーラムを拝むものか。 出てくる化け物の類だって、あのドフォーレの手下なんてものじゃない。 傷薬が切れることも、食料がつきることも、オレたちがやられちまうこともありうるんだぜ」 タチアナは黙っていた。ドフォーレに追われて、多少の怖さは知っている。ウォードの話はその怖さをむやみに煽りはしないけれども、実際の経験からくるリアルな泥臭さが伝わってきた。 何日も、バスタブにつかれないとか、ベッドに羽根枕もついていないとか、それどころかシャワーも浴びれず、森の地べたに寝るだとか、吹雪の中で凍った生肉を食べるとか…想像するだけで寒気がしてくる。その上危険な冒険など、とてもできるはずがない。そんなことは、今更言われなくてもとうに承知していたのだ。
「だけど、今のラザイエフ家は耐えられない」 ぼそりと、彼女は言った。ウォードは肯いた。 「だったら、まずはそれに耐えることから始めろ。 旅は自分の都合の悪いことから逃げるためにするものじゃない。 旅に出たいのなら、強くなってお家騒動の怪物と渡り合ってねじふせてやるんだ。 そうして書置きなんかせずに、堂々と送り出されて見せろ。そのときにまだオレたちと一緒に行きたいと思ったなら、こちらから迎えに来てやる」 「…本当に迎えに来る?」 少女が真剣な瞳で尋ねるので、ウォードは吹き出しそうになり、そして一瞬、その真剣さが痛いように感じられた。 「くるさ。 世界のどんな辺境からでも。 そのときは、父親のへそくりオーラムは持ってこなくていいぞ。冒険していれば、そこそこ稼げるからな」 「そう? でもあの人たちは相当困ってるみたいね?」 タチアナは海のほうを振り返り、甲板で殴り合っている面々を目で示して笑った。そしてさっき気がついたことを言おうと思った。
―ウォード、どこからどう見ても荒くれのくせに、妙に言葉遣いまで紳士的なときがあるのね?
だが途端にお腹がぐうとなった。 「だからやせ我慢はするなと言ったのに」 ウォードはのんびりと言った。 「ほら」 渡されたのはチョコレートのかけらだった。タチアナは素直に受け取り口に放りこんだ。ビターチョコというのか、思いきり苦い。それでも食べていると、夕刻のリブロフの空に夏の星が瞬き始めた。家はすぐそこに見えていたが、最初に逃げ出したときのように呪わしくは見えない。タチアナは振りかえり、ウォードに言った。
「さよなら、もう帰るわ」 「うむ、そうしろ」 「でも迎えに来るときはこの橋の上で待ってるから」 「そうか」
―ねえ、ウォードって、もしかして貴族の親類が…?
しかしタチアナは閃いたばかりのその言葉を飲みこんだ。そして素早くのびをして、ウォードのもしゃもしゃのヒゲがある頬に軽くキスし、さっと走り出したかと思うと、夕闇の中で「バイバーイ」と手を振った。
ウォードは目をこらしてその姿がラザイエフ家の大きな門の向こうに消えるのを見届けた。そして今回の護衛代金で少し潤ったはずの、むさくるしい面子の待つ今日の宿に向かうと、なぜかむさくるしい面子が一名増えている。 「どういうことなんだ」ウォードはロビンを見下ろして睨んだ。 「パブの修理代を貰っていないので追ってきたんですよ」 「そうじゃないだろ、オーラムにつられてつい船に乗っちまったんだろ!」 ポールがにやにやして言った。これが図星だったためにロビンは言葉をなくした。だが黙るのも癪なのでこうよばわった。 「ハハハハハ 天知る 地知る ロビン知る―」 「おめえ、おやじ、もう一杯。 …んで聞け。 美人だったんだがな、せっかく口説こうと構えたっちゅうときに『お金が欲しいの?』はねえだろ、な?」 すでに酔いが回ったハーマンのソーンバインドが開始されたのだった。それを見て詩人が勝ち誇ったように部屋の中央に進み出る。 「言わせてもらいますが、その警句はちっとも気がきかないじゃないですか、いいですか、詩というのは―」
ゴンッ! ウォードが脳天を直撃した。 「氷の剣をいつまでもこんな馬鹿げたことに使いたくないんだが」ハリードは涼しい顔で、振りかえりもしない。 「うん、明日はまたピドナ戻りだ。 とんだ回り道をしたものだぜ。もっとも、オーラムだけのことはあったが」 「…回り道か」ウォードは狭すぎる椅子によりかかって窓から星空を見、ふっと穏やかに笑った。
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コメントをばw サリュさん宅でキリ番を踏みまして頂きましる『奴ら』ですw サリュさんの奴らは、『紳士』です(きぱ)自分のところだと・・・好き放題に暴れ捲くり何処までもがめつくて貧乏ロードまっしぐらです(w 書き手によって同じキャラクターでも、変わるものだなぁと実感。 小説は、奥が深いです! サリュさん、どうもありがとう御座いました!
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