イチゴ泥棒

 春らしくなって数週間が過ぎていた。ロアーヌ宮の庭園は、つい先ごろゴドウィンの乱で兵士たちが鎧の音を立ててせわしく行きすぎたことを忘れるほど静かだ。並木の新芽は青々と育ち、繊細なクリサンセマムの仲間がこぼれるように咲き、こちらではハニーサックルの香りがアーチから漂っている。夜ともなると召使の姿もなく、衛兵もたまにしか回ってこない。生垣にはハリネズミが家族で住んでいる。
 カールした黒髪の若者がその傍の芝生に降り立ったのは、月が昇ったころだった。冬空のような青灰色の目をした彼は、細いが引きしまった体つきで質素なブーツとグリーンがかった皮の上着を身に着けていた。腰にはダガー。あたりを見まわして宮殿の裏口を見つけたとき、不意に声がかかった。
「あら、お仕事熱心ね。 新しい庭師さん?」
 若者は驚いて振り返った。掲げたランプに照らし出されたのは、桃色のドレスに金の豪奢な髪、緊張しているこちらまで微笑みたくなるような笑顔。
 彼女はロアーヌ侯の妹姫であった。たったひとりでお忍びのように庭園に出てきたようだ。
「はい、モニカ姫。 今日の夕方こちらにつきました・・」若者は思わず答えた。

 モニカはよろしいというように肯いた。
「もうすっかり春だから、夜でも仕事は山積みです。 早速ユリの手入れにかかってほしいわ。 わかるでしょ?」
「は、ユリですか」
「この品種は白ではなくて整った優美な淡桃の花が咲くわ。 ――こちらよ」
 モニカはスタスタと歩いていき、S字型のレンガの通路に沿ったユリ園へ案内した。ユリは蕾がついたばかりで、みずみずしい葉が整然と並んでいる。
「今ごろは蕾を狙って虫がつくの。 あなたの上の人にもようく言ってあるのだけどちっとも報告はないし、通気が気になって見に来たのよ」 
 彼がそっと蕾のふちを覗いてみると、赤い模様入りの一見憎めない姿の虫が見えた。
「テントウムシに似ているけど違うの、わかる?」
 モニカは不安そうに後ろから言った。
「星の形が違う。 これは害虫です。 夜行性だから昼間は目立たないが、気づかず放置しておけば蕾に穴をあけてしまう」若者は即答して立ち上がった。
「薬剤を使いますか? なければ根気よく…」モニカは微笑んだ。
「すぐそこのトレリスに小鳥がくるの、イチゴを食べにね。 だから、大変だけど薬は使わないで頂戴」
 そういって立ち去るかと思えば、ドレスが汚れるのも構わずしゃがみこんで、蕾の脇を慎重にさぐった。彼は自分も同じように手入れを始めた。虫は奥にも入りこんでいたので沢山退治できた。
 それから根元に草木灰を散らし、木桶一杯の水をまんべんなくかけて終わりにした。そんな用具までモニカはひとりで運んできていたらしい。彼はやや呆れたが、ここまで見ればどうしてもレディを楽させてしまいたくもなる。それで黙っててきぱきと手伝ったので、モニカはこの新米庭師の働きぶりを気に入った。

「よく考えたら、宿舎に帰るところを捉まえてしまったのね。 疲れていたのにごめんなさいね、でも助かったわ。 今後とも頼みます」
「ええ、こちらこそ・・」彼は戸惑ったように会釈した。
 モニカがいなくなってしまうと、彼は深呼吸してちょっと考え、もときた道を戻ろうと歩き出した。だがそこへ衛兵が巡回に来てしまったのである。足音で分かったはずなのにうかつ過ぎた。
「そこの!何者だ!」
衛兵は複数いて、ひとりは詰め所へ早々と連絡しにいったようだ。


 ――やばいなあ。
彼は手をかけたダガーをとうとう抜かなかった。

 侵入者を捕らえたという知らせは、すぐさまミカエルのもとに届いた。
ミカエルが出ていくと、捕縛された者は年齢は22,3歳で、全く恐れた様子もなく、ミカエルを見ると友人にでも会ったような顔をした。
「なぜ庭園内に入りこんだか、訳を聞こうか」ミカエルは静かに言った。
「ゴドウィン男爵のカタキをとりにきた…と言ったら?」
「私の暗殺という意味か? そんなことを口走ると、鳥かご刑に処さねばならなくなるが?」
 鳥かご刑とは、ある意味斬首よりも残酷な刑罰で、炎天下でも凍りつく寒さの中でも、水すら貰えずかご状の牢に入り、城壁に吊り下げられるのである。若者も、ご勘弁、といいたげに苦笑いした。しかし、悪い冗談に付き合って喜ぶミカエルではない。
「本当の狙いを白状しろ。 そして誰に雇われたか、それともただの身のほど知らずの盗人なのか。 言っておくが、でまかせを言っても調べれば嘘と分かる。 そのときは罪が一段ずつ重くなるだけだぞ」
 若者は自分には無関係といわんばかりな態度でミカエルの言葉を聞き流していたが、不意に挑戦的な目を向けた。
「デュ・フルーレ法を適用してもらいたい。 私は貴族だ」

 部下に任せて行こうとしたミカエルはそこで立ち止まった。部下たちも意外な展開にざわつきはじめた。
「名乗りもせずに貴族と認めろと?」
「立ち会えば分かるさ! さあ、受けるのか、逃げるのか?」傍にいたラドム将軍が顔を青くして言った。
「お受けになってはなりません。 こやつ一匹を無視しても侯の名誉は傷つきませぬ。 しかし、デュ・フルーレ法の通りに真剣での立会いとなりますと、もしも・・万一というときには、…ええ、はっきり申します! ロアーヌは内乱に逆戻りでございますぞ!」

 ミカエルは将軍の言い分ももっともだと思った。そこで勝負を却下することなど、ロアーヌ侯であるミカエルにとってはたやすい。また、ゴドウィンの乱を鎮圧してまだ10日ほどしか経っていないので、戦闘的なことに巻き込まれるのは賢い選択ではなかった。
 しかし、金で雇われた刺客にはない何か強い意思が、この若者からは感じられた。あるいは計算を離れたまっすぐな目の光のせいだったろうか。ミカエルは、若者が無言のうちに名誉を賭けてきたような気がした。

「得物はレイピアか?」ミカエルは言った。
「レイピアとダガーで」若者はすぐに、今度は少し丁寧に答えた。
 ミカエルは肯き、部下たちに向いた。
「剣の用意を。 場所は中央砦通路で。 構わぬな?」
 ラドム将軍はかまわぬどころではなく、ミカエルがロアーヌの古い法を持ち出されて意地になってしまったかと内心穏やかではなかった。 

 そういえば奇妙な若者だ。ロアーヌのデュ・フルーレ法など、国内でも一部の者しか知らないのではなかったか…?
 夜がふけていく。
「万一」のことをラドム将軍と大臣らに細かく指示したあとで、ミカエルは、かがり火が照らす城郭屋上部の通路に出ていった。森のほうでフクロウの声がし、あとは春の風がときどき通過していくだけだ。立会いは少ない。それでモニカはすぐ傍でこんなことになっていると直前になって知り、慌てて駆けつけた。そして兄と決闘することになったのがあの庭師だったので、驚いて声も出なかった。
 貴族と名乗る相手は、慣れた様子でレイピアを選んだ。
「いい仕上がりの剣だな。 レオナルド工房制作…なるほど」ミカエルは白い皮鎧を締め終わった。
「何をブツブツ言っている? 真剣試合だぞ」
「これは、失礼。 まだ来られないと思ったので」ミカエルはくすりと笑った。
「始めよう」

 バナーのついた槍を交差した衛兵がさっとその槍を上げ、試合開始、と侍従長が叫んだ。ミカエルは勢いよく踏みこんだ。相手はさっと後ろにかわしてレイピアを絡めにかかった。ミカエルはそれを見越してするっと剣を抜き、打ち込んで来たところをレイピアとダガーの両方で差しとめた。石の床に乾いた金属音が響き渡る。
「素早いな」ミカエルは言った。
「あなたこそ」勝負はなかなかつかなかった。
 どちらも額に汗がにじむが息切れはなく、動きはますます俊敏でまるで模範演技を見るようだった。一旦分けてから、仕切りなおしになった。若者は攻勢に出て、ミカエルを押しやっていった。
 ここでかっとなったミカエルは、体を反転すると左に回り、すさまじく突き始めた。相手も必死である。石床を左右に飛びはね、ダガーでかわし、同時にレイピアを繰り出す。そして、再び互角に持ちこんだと思ったとき、この貴族の視界にモニカの姿が飛びこんできた。

 美しいグリーンの瞳は兄を心配し、勝利を祈るようだった。
しかしかといって自分を騙した若い庭師をも心配している。どちらも傷つかないで欲しいというのが彼女の願いなのかも知れなかった。このような優しいまなざしを見たのは何年ぶりだろう。

カシーン!

 冬色の目がハッと気づいてわれにかえった。鋭い突きをかわしはしたが、レイピアは絡めとられて宙に放り投げられた。ミカエルはダガーの間に合わない彼の胸元に剣を突きつけた。
「…ひざまづけ」彼は言われたとおりにした。
「デュ・フルーレ法によれば、敗者にその場で死を与えられることになっている。 承知していような?」
「はっ」若者は頭を垂れた。
「よし」
 ミカエルはそう言うとさっと剣を収めた。 付き添っていた人々が不審そうに動向をうかがった。黒髪の若者も何事も起きないのでゆっくりと頭を上げてみた。
「ミカエル・アウスバッハ・フォン・ロアーヌは、この場にて法の改正を行う。 デュ・フルーレ法はたった今、廃止された。 よって、そなたの処遇は私に一任される。誰か書き取るように、罪状を申し渡すぞ。 『イチゴ泥棒、未遂』だ。 さあ、まずは正体を明かしてもらおう」
 ラドム将軍はまたも驚いたが、表情はどことなく安堵したようだった。
「参りました、ロアーヌ侯」負けた若者は促されて立ちながら言った。
「私の名はルドルフ・イム・ヴァインデビルゲ。 ツヴァイク公子です」

 人々はこの告白にもざわめいた。
ルドルフの噂はロアーヌでも決して誉められたものではない。嫡男であるにもかかわらず、山岳地の寒村ヴァインデビルゲを領地として押付けられていることからも、彼は父に似ず、青年らしい野心もなく、臆病で役立たずなことは明らかだと言われていた。
 目の前にいる若者はというと、無謀なほどに勇敢で冒険的であり、名乗ったあとには立ち居振る舞いも貴公子そのものだ。ルドルフのはずはない、というささやきがあちこちから漏れた。が、ひとりミカエルだけは落ち着き払って腕を組んで彼をみていた。
「ロアーヌ侯亡き後のゴドウィンの乱で、ロアーヌは丸裸な弱小国家になったと、父は考えたようでした。 そこで若きロアーヌ侯をみくびり、そのまま大軍で攻めつぶせば簡単に事は済むであろうと…」
「ふっ。 公らしいな」ミカエルは呟いた。
「そんな暴挙はツヴァイクのために止めたいと思いましたが、私の助言など聞く父ではありません。 そこで、直接ミカエル殿に会ってみたいと考えました。 父が言うように、器でもないのに侯爵位をついだだけの権力志向の若造なのか。 名誉を持ち出せばすぐ決闘するという、領主にあるまじき冒険に乗り出すのかどうか。 しかし、…今事情を話せるのも侯爵の慈悲ゆえ。 たとえ私がここで死んでも、無能といわれる公子が野垂れ死にする場所などツヴァイク宮廷は関心を払わないでしょうから」

 ルドルフが言い終わるとミカエルは鋭い眼光を向けた。
「果たしてそうかな。 もしもそなたを鳥かご刑にしていれば、城壁に吊り下げられたツヴァイク公子の姿を誰か配下の者が目撃しただろう。 そうなればツヴァイクはロアーヌを攻める口実を見つける。そなたが勝手に庭園に忍び込み、ゴドウィンの部下だなどとわめいたことは無視されるからな。 またこの試合で殺害したとしても事情は変わらない。 正体を告白しないままでは侵攻の危険はむしろ増したはずだ。 さらにここでそなたを自由に帰すとする。 公はどう判断するか。 せっかくの人質をあっさり放してしまったミカエル組やすしと、やはり大軍をもって攻めることも大いに予想できよう」
 しかしルドルフはミカエルの次の言葉を待っていた。それはミカエルが信じるか否かの表れでもあった。ルドルフを、そしてミカエル自身を―――。沈黙ののち、金色の長い髪がサラリと揺れた。
「馬を用意する。 夜が明けたらここを発ちたまえ」

 それから数日。
ツヴァイクにはロアーヌ侯に関するある噂が流れ、若き侯爵の評価が高まったので、影響されやすい公は集めていた兵士の大半である民兵を解散した。ミカエルはというと、公の気が変わらないときへの備えは万全にしていた。しかしその後もツヴァイクが攻めてくることはなく、国境を警備していたラドム配下は撤退命令を受けて、帰途に出会ったツヴァイクからの使者を護衛しながらロアーヌ宮を訪れた。使者はルドルフからモニカへの贈り物を携えてきたという。ミカエルは親切な庭師のことを妹に聞いて知っていたのでそれほど驚きはしなかった。
 けれども無論、油断させてこれが毒と言うこともありうる。ミカエルは将軍に言って中をあらためてもらった。それはどっしりした木箱だったが意外に軽く、そっと開けたラドム将軍は首を傾げ、変形した水差しを取り出して途方にくれた。
「何でございますか・・見たこともありませぬが。 おお、手紙がついております」

 手紙は羊皮紙で、まさしくツヴァイクの紋章が封印になった本物だった。
ミカエルはこれを慎重に開き、読み終わるとモニカに渡し、優しく言った。
「ラドム将軍を悩ませているが、これは確かにそなたへの贈り物だ、モニカ」

ミカエルへの挨拶とは別の一枚に、次のように書かれていた。

「・・・モニカ姫にささやかな贈り物をしたく存じ、この品を持たせました。 姫はユリの手入れの際に、ずいぶんと重い木桶をお使いでしたが、あれでは扱いにくく水も激しくこぼれるため、繊細な芽は痛んでしまいましょう。
これは、薄く延ばした鉄で軽量にした口の長い水差しです。 よろしければお験しになってください。 ときに、かのユリの名は『ル・レーヴ(夢)』と申すのでしたか。 さながら一夜の夢のごとき、姫との楽しい虫退治のこと、忘れは致しません。宿命の導きがあれば、いつか再びお目にかかりましょう。

イチゴ泥棒、またの名、
ルドルフ・イム・ヴァインデビルゲ」




コメントをばw
サリュさん宅のキリ番を踏みまして頂きましたw リク内容が『カッコ良いミカエル様』でした(w 本当に、ミカエル様がカッコ良くて素敵です! 決闘のシーンが特にリアルで手に汗握る展開でした。
 ・・と同時に、ルドルフも気に入りましたv 彼だったら・・・と思ったりしました。 でも、運命は酷ですな。
モニカたんはガーデニングのシーンが一番好きです。
本当に、どうもありがとう御座いました!

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